わたしには友達がいない

タイトル通りです。わたしには友達がいません。「少ない」ではなく、本当にただのひとりもいません。

また、友達の価値基準が高すぎる、ということでもありません。確かにわたしはそんなところがあるし、以前もそれで友達に悲しまれたりしましたが、今はそんなことのために「友達がいない」ということばを使っていないと断言できます。

なぜって?

わたし、今家族以外の誰ともおしゃべりしていないんです。

SNS――LINEやInstagram――はやっていません。以前はやっていたし、アカウントだって持っているけれど(インスタは消したかも)、スマホにアプリが入っていないんです。

TwitterはROMです、誰かと関わる気はないし、フォロワーもいりません。……それに、実を言うとそれほど開いてもいないんです。好きな絵師さんをリストで見ているので、開いたらそれなりに楽しいタイムラインになってはいますが。

ひとはそれを寂しいと言います。

わたしを見て、「寂しいひとだ」と。

わたしもみんなのように、ひとりは寂しいしいけないことだと思っていた時期がありました。

けれど、わたしは今とても楽しいのです。

強がりだよ、と言われたとしても、それでもいい、と言えるくらいには楽しいし、自分に関わってくる他人に興味はないのです。

まあ、他人どころか親にも興味ないですが……親不孝でごめんね?子ガチャ爆死した親を可哀想だと思わなくもないですが、残念、わたしは親のために生きられるような人間ではないのです。

「いない」と書きましたが、「作れない」というよりは「作らない」です。

昔はいました、友達。たくさん。ある出来事をきっかけにしてLINEの連絡先を消してしまったので、今はたまたまその後に知り合った3人くらいしかいません。そのひとたちの消息がわからないくらいには連絡をとっていないけれど。

友達がいなくなって下がったかと思われるQOLですが、むしろ上がりました、比べ物にならないくらい。

嫉妬とか苛立ちとか、そういう近しい他者に抱くストレスがフリーになったのですから、当然といえば当然な気がします。

ゲームだってソロプレイするもののほうが多いと思いますし。FGOとかツイステとか、フレンドの制度はあれど協力プレイの様相を呈してはいないのでぼっちでも関係ないんですよね。(ちなみに、わたしはたくさんのゲームをしていましたが最近上の2つに落ち着きました。ストーリーの読み応えがあり、時間に追われなくてもいいやつ。面白くないゲームを抱えるのも負債です)

あとはアマプラとか。作品数がそれなりにあるので嬉しいですね。dアニメストアfor……にも加入しているのでさらに多い。見たいの溜まってます。

プラス趣味(絵を描くこと)と受験勉強……と、ここまでくると本当に時間が足りないくらい充実してしまいます。

友達がいないというだけでは、空白の時間は出来ませんでした。

などといいつつ、わたしは友達否定派ではないです。断じて。

友達が好きならそれはとても良いと思うし、誰かと一緒にいる時間を大切にしたいひとだってたくさんいるでしょう。

好きにやって、って感じです。

まあ、出来れば「ひとりは寂しい」の色眼鏡でこちらを見るのはやめていただきたいところではありますが。

わたしは楽しいし充実してるし幸せなのに「寂しい」を押し付けないで。

あとはみんな好きに生きるのが良いと思います。否定は飲み込んで、肯定は口にしてもいいししなくてもいいと思うけど。

友達を欲しいときに作れる自信があって、今現在友達の存在を重荷に感じているのなら縁を切ってみては。

「友達になる自由」は「友達をやめる自由」ともセットですよ。

自己中だけれど、それに関しては仕方ないです。そうしないとそれは「自己犠牲」のようなものだし、それを誰かが押し付けるならそれも自己中です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です